今年は台風の直撃により、51年ぶりに宮出を中止(特別措置)をとる事となりました。
自分も長く祭りに携わり、このような出来事は初めてで、中百舌鳥町にとっても初めての出来事だったと思います。
宮入の日には、森先生の配慮で子供達にも身近で太鼓を見てもらうことができ、とてもうれしく思います。
百舌鳥八幡宮月見祭りは約300年の歴史があると言われ、五穀豊穣を祈願し中秋の名月(旧暦8月15日)に合わせて行われます。
現在のような太鼓台になったのは100年くらいの歴史と言われてますが、2日間で10万人以上の来客を擁するようになったのは、ここ10数年の出来事です。
自分が太鼓に搭乗させてもらった時はまだ”中百舌鳥村”の風習が残り「地の子」と言われる
親子三代中百舌鳥に在住していない子供は、搭乗させてもらう事ができませんでした。
三好家も37年前に中百舌鳥に越してきて、太鼓に搭乗するなんてもってのほかと思っていたそうです。
当時の中百舌鳥町と言えば、駅前はまだ砂利道で地下鉄もなく、田んぼだらけの田舎町だったのを覚えています。
今は亡くなりましたが、おとんは子供には太鼓に乗せてやりたいと、他所村から越してきて
私がその資格のできる10歳まで中百舌鳥の祭りに携わり続けました。
そして10歳になった時、青年団から「太鼓に乗りませんか?」と声がかかりました。
しかしやはり古い村で、周りからは「あの子どこの子?」「地やないんやろ」と言う声が飛び交っていたそうです。
そんな中おとんも、おかんも子供の為にと町会の行事に精力的に参加し、また自分も青年団を経て
「中百舌鳥の三好や!」と大胸張って言えるように見栄張って来た事を思い出します。
そしてそれは、自分の両親が思い続けていた「子供の為」にやっていた事でもあると思います。
今は中百舌鳥町も変わり、沢山の方がこの町に住む環境になりました。
また祭りも「地」から「町」へと変わりつつあります。
この町に”祭”と言う環境がある事はとても素晴らしいと思いますし、
もっともっと多くの方に参加していただけるような祭になればと熱望し
そしてもっと子供たちが身近に感じれる祭が出来るように頑張って行こうと思います。(みよしコーチより)
森先生、コーチ、保護者の方々、チームの皆さん見に来て頂いてありがとうございました。
今年は家族みんなで布団太鼓に参加しました。
見た目以上に大変な太鼓の練習、子供も私もヘロヘロになりながら約2ヶ月間奮闘してきました。
土日を除いて毎日2時間の練習は睡眠時間を奪い、普段ほとんど熱を出さない次男が2ヶ月で2度も発熱しました。
夏休みの楽しみも何ひとつやらせてあげる事ができませんでした。
本当に大変な夏休みでしたが当日子供達が気持ち良さそうに太鼓を叩いている姿を見て、嬉しくてまた来年も頑張ろう!支えて行こうと思いました。
おじいちゃんが道を作ってくれた祭、三好家にとってはかけがえのない物です。
サッカー部の先輩の中にも、中学生になって太鼓を担いで頑張ってる人も沢山います。
大変だけどとても楽しいと思うので参加したい。と思ってくれる子が増えてくれたら嬉しく思います。(三好母より)